武田信玄-戦国時代最強と名高い理由
2019/08/09
「戦いは五分の勝利をもって上となし、七分を中となし、十分をもって下となる。五分は励みを生じ、七分は怠りを生じ、十分はおごりを生ず」
戦国時代最強の武将と謳われている武田信玄の格言です。
信玄と言えば何よりも「風林火山」が有名ですが、今回は信玄の人物像を探るために前述の格言をご紹介したいと思います。
信玄の生涯戦績は49勝3敗20分。
戦上手で負けない印象の強い信玄ですが、全72戦中、実に20戦もの引き分けがあったようです。
完勝や圧勝をしてしまうのは決して良いことではない。むしろ驕りが生じてしまうので避けるべきであり、五分が最良という考え方を持っていたのですね。
非常に深慮で且つ奥深い、正に信玄ならではの考え方だと思います。
群雄割拠の戦国時代、武田信玄存命の時代においては天下統一など遠い夢の話。
生き残りを掛けた諸侯大名同士の争いが絶えない中、目先の勝ちに一喜一憂するのではなく、勝ち戦の後も自軍の緊張感を保ちつつ、次の戦に備えることが重要であると考えていた信玄。
この格言だけに限らず、戦国の世で生き残る術を熟知していた信玄の思想や意識がしっかりと下まで行き渡っていたからこそ、武田軍は無類の強さを誇ったのではないでしょうか。
尚、軍の司令官として、また内部統制においても抜群の能力を発揮した信玄でしたが、育成については苦手だったようです。
上杉家でいうところの直江兼続のような能臣を育てられなかった結果、信玄の死後、武田家は10年程で滅亡してしまいます。
以前の記事でもお話しましたが、組織を永続的に保ち続けるためには育成が最も重要だということを物語る話だと思います。
話が逸れました。
相手を完膚無きまでに叩くよりも、五分の勝ちによって励みを生じ、来たるべき次の戦に備えるという姿勢、現代の世においても必要な考え方ではないでしょうか。